ジェロントロジストを求めて各分野の先駆者に独自の視点でインタビュー

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更新日 2015-08-30 | 作成日 2008-06-12

研究探訪 VOL.7

ジェロントロジストを求め各分野の先駆者に、室長が独自の視点でインタビュー。
第7回目は安藤禮次郎さん

「ミスター・元気!」
安藤 禮次郎 氏 (株式会社ハセベ 取締役相談役)


1.苦労(情け)は人の為ならず。

IMG_0305.jpg安藤さんは大変元気な苦労人である。日露戦争に参戦した父親のもと、9人兄弟の下から二番目の子供として愛知県の山村の分校で小学時代を過ごした。小学校から自立心の強い子であったという。中学に入学してからはアルバイトで学費をねん出していた。それはずっと大学を卒業するまで、親の助けは一切してもらわなかったという。中学2年生の時戦争が終わり、日本は大きな転換期を迎え、安藤さんにも大きな転換期であったという。このときまでの自立の精神と元気さが安藤さんの現在に至るまでの人生の柱であった。


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2.多彩な職歴
~銀行マンにして都市再開発のプロ、コンピュータ会社ではポイントカードシステムの創作~

IMG_0312.jpg大学は理工学部の電気科に入学したが、性に合わず、経済学部に転学した。卒業後はいろいろな人に会え、社会勉強が出来るつもりで銀行に入行した。しかし、2,3年後は銀行をやめて、商店を興す予定だったが、支店開設連続5か店と多忙な日々に明け暮れ、結局52歳まで銀行マンを続けた。その間お取引の倒産はゼロ、今はお孫さんの時代になっても経営相談に来られるお取引もある。昭和40年高田馬場支店開設と、駅周辺再開発を担当した。この再開発には地元商店街の半分は反対だったが、「お客が喜ぶこと」をモットーに反対店主達を説得し、また、早稲田大学の先生に3年後の高田馬場という鳥瞰図を描いてもらい、再開発の成功にこぎつけたという。この再開発は結果的に成功し、反対店主達にも感謝された。その後この再開発の手腕が認められ、昭和50年には大宮支店開設と大宮駅周辺の再開発の担当、そして今は三河島駅周辺再開発に情熱を燃やしている。
銀行を辞めた後、コンピュータ会社に入社し、現在のポイント・カードのシステムを作り上げた。コンピュータ会社で営業と人材育成を10年間し、株式会社ハセベ会長に請われ、ハセベに入社した後も、持ち前の元気さで仕事を続けている。

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3.信念に従い、いつでも社会との繋がりを持つことが元気のもと

安藤さんの信条は「人の世話になったら、恩返しをする」と「常に相手の立場より低い位置で接する」であり、昔堅気の人柄であるが、頭は非常に若く、今まで病気をしたことがないくらい元気である。健康なのは、若い頃から粗食で育ったからだという。飽食の時代の私たちには参考になる生き方である。

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4.安藤さんが信条とする人間の3つの資産(健康力、知識力、人間関係力)

IMG_0322.jpg安藤さんは労務管理のプロであるが、人を教育する時、常に3つの資産の事を説くという。一つは、健康であること。二つには、知識を蓄えること。三つには、人間関係を大切にすること。安藤さんは自分の経験を踏まえ、この三つの資産を蓄え続けることが人間として、社会人として一番大切なことであると信じている。

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5.これからも元気で・・

安藤さんは、今年で79歳である。まだ元気はつらつであり、商売に対する情熱はいまだ燃え続け、これからも「人に喜んでもらえ、楽しめること」に取り組んでいくという。「自分の信念」を持ち続けることが、元気で活発な加齢であるということを教えられた。

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撮影協力:株式会社ハセベ
写真:谷口とものり

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安藤禮次郎

株式会社ハセベ
取締役相談役

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